今日も暖かいので冷麺
- 2011/03/31(木) 11:54:42
先人の教え
- 2011/03/30(水) 14:56:11
①「津波の時は井戸に気をつけろ」。岩手県大槌町栄町の佐藤綾子さん(59)は二十数年前に近所の高齢者から聞いたこんな教えを覚えていて、津波から逃げ延びた。「昔聞いた話が本当に役に立つとは」と先人の知恵に驚いた様子だった。(清作左)
佐藤さんは二十数年前、当時小学生だった長女(32)と、学校の学習発表会のために津波について勉強していた。
そのとき、明治29年に起きた明治三陸大津波に被災した近所のお年寄りから体験談を聞いた。「津波の時は井戸の水が引いて、ゴボゴボという音がする。井戸には気をつけて」と佐藤さんは振り返る。それ以降、「津波が来そうな時はとにかく井戸を見る」と肝に銘じていたという。
この知恵が今回の震災で生きた。揺れが収まった後、佐藤さんはすぐに自宅の井戸をのぞいた。「(井戸の水が)今まで見たことないぐらいに真っ茶色に濁っていた。これはまずいと思って、すぐさま逃げた」
自宅は津波に飲み込まれたが、佐藤さんは高台に逃げて助かった。
高台から見ると、町に煙がたなびいていた。「よく見ると水しぶきだった。あんなに近くまで来るなんて…」と今回の津波の壮絶さを語った。
「先人の教えは大事なんだと、今回のことで教わりました」と笑顔を見せた。
②「此処ここより下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は児孫じそんの和楽わらく 想おもへ惨禍の大津浪おおつなみ」
本州最東端の●ヶ埼とどがさき灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
咲いた
- 2011/03/30(水) 13:50:42
朝ズバッ
- 2011/03/30(水) 07:27:37
今朝の朝ズバで釜石市の津波のことをしていましたが、斜流と言う波で秒速8メートル、時速30キロだったそうです。
津波の中でもたちの悪い津波で、とにかく高いところに逃げるしかないそうです。
番組の中でも言っていましたが、東北の人は津波の意識が強くて、津波の時は、一人一人ばらばらで高いところに逃げると言われていたそうです。そのためまだこのくらいで済んだとか…。
四国中央市では、日曜日毎、高校生、中学生がスーパーやTSUTAYA等で、募金活動をしています。
本当に末端の小さな事からがんばれているのに、政府、東電の上層部、どうなっているのでしょうか…。
対応の悪さに愕然とします。
作業員は、がんばっているのに…。
原発の一日でも早い収束を…。
ポカポカ天気
- 2011/03/29(火) 20:46:00
ザンキ
- 2011/03/28(月) 18:49:10
ヨーグルトケーキ
- 2011/03/27(日) 14:18:11
ハンバーグ
- 2011/03/26(土) 14:35:54
義援金
- 2011/03/25(金) 10:13:21
娘の通う小学校では、震災後すぐ義援金の袋が回ってきました。
生徒数400人弱で、373267円の義援金をPTA連合会を通じて被災地へ届けました。
昨日も卒業式で黙祷をしてからの式だったそうです。
沢山の人が亡くなりましたが、特に
子供達が亡くなった事が、胸を締め付けられる悲しみです。
神様の試練とはいえ、あまりにも悲しすぎます。
マイルドでは集まった義援金は、あしなが募金に送りますので、宜しくお願い致します。
ミネストローネ
- 2011/03/25(金) 08:02:49
酢豚
- 2011/03/23(水) 17:29:13
釜玉うどん
- 2011/03/22(火) 20:31:27
サンドウィッチマン伊達ブログより
- 2011/03/22(火) 00:16:34
サンドウィッチマン伊達ブログより、
『多大な被害を受けた南三陸町。15mの津波が襲った。助かった方々はスピーカーから流れるアナウンス警告があったからだと言う。その声は波に呑まれる直前まで続いたそう。
声の主の彼女は23歳。
9月に挙式予定だったって。生まれ育った町の人々を救うために彼女は警告を叫び続けた。自らが波に呑まれるまで…。』
彼女の様な正義感の強い方が、今回の震災で沢山亡くなった。
我々は生きています。
彼女達の分まで力強く生きる事を誓います。
この文章を見て涙が出ました。
すばらしい価値のある人が亡くなってしまいました。
テレビでも防潮堤を閉めに行って、行方不明になった消防団のお父さんを捜す家族の姿。
原発で自分の身よりも使命感で働いている方々、それをじっと待つ家族。
みんな踏ん張っています。人間として、とても誇り高い人々。
それに引き替え巨人の渡辺さん、傲慢すぎます。
家族の行方が分からない人々が、不便な避難先から移動出来ずにいる。
そんな人の前でも野球で勇気づけれると言えるのでしょうか、私は疑問です。
それに引き替え、東北高校のセンバツ野球は違います。
東北高校は、練習をやめて給水のボランティアをしていました。
東北高校はどんな形でも出場して、被災者を勇気づける役目を果たさなければいけません。
今回の震災で、私は『人間の価値とは何か』を考えることが多くなりました。
自分は何が出来るだろうか。
何を残せるだろうか、と…。
ただ言えることは、亡くなってしまった方々に、一生懸命生きたと言える人間に私はなりたい。